桂歌之助上京掲示板
ナミビアの砂漠 - 桂歌之助
2024/10/11 (Fri) 00:19:01
明るい映画ではない。
若者特有の言葉遣いや喋り方も時に不愉快に感じる。
しかし主人公の危うさとそれを演じる役者の力量によって観る集中力は途切れない。
友達と戯れたりスマホの画面を見ている時には笑顔を溢すが、基本的に不機嫌な若者が増えた気がします。
この映画の主人公の女性、いや少女はその典型の様。
綺麗な顔立ちもその不機嫌さで台無し。
背中を丸めて、力なく狭い世界を彷徨う。
やりたい事がない。食べたい物もない。好きな人もいない。
仕事はやりたい事ではなくて生きていくお金をもらうためのもの。
口に入れるのは食べたいものではなくて生きていくためのもの。
そばにいる人は好きな人ではなくて自分が好きにいさせてくれるためのもの。
自分が平気でやっている事を人からされるとムカつく。
構って貰えないとムカつく。
自分にやりたい事が無いから何かに熱中している人にイラつく。
そのムカつきは幼児の様な振る舞いの形で爆発する。
誰しも大なり小なり身に覚えのある感情の揺れであるけれど、私の感覚ではこれは思春期の話。
今回は21歳の働く女性。
ええ歳した大人が何やっとんねん!しっかりせい!、、と言ってしまうのはこれまでの大人の簡単な処理法。
現代の社会状況や現代を反映した個人的な生い立ち、様々な要素が絡まり合ってそう育ってきてしまった面もある。
映画の作り手は大人に様々な問題提起をしています。
例えば奔放に振る舞う少女に彼氏はひたすら謝り続ける。
これはどこかで見る風景。
主人公と同じく生きていくこと自体が目標と言う若者が実際に多数いるが、そんな希望の待てない世界に誰がした。
森の中で遊びながらタバコを吸うシーンは、環境!と言いながら永続的な発展成長を目指す社会は止めない現代の矛盾と同じ。
さて映画の方では、少女の暴力的な振る舞いは遂には日々のルーティーンのフィットネスとなる。
そんな彼女と生活をしている彼氏が、彼女の発した中国語の意味を尋ねると一言
「分からない、、」
と答える。
その言葉の意味が「分からない」なのか、意味自体が「分からない」なのかが分からない。
しかし、それは彼女の全ての答えなのでしょう。
自分は何がやりたいのか分からない。何でこんなにムカつくのか分からない。自分が何者なのかが分からない。この世がどういうものか分からない。この世の未来が分からない。
分からないならそれでいい。
それを抱えて生きていこう。
そう思ってくれた様な気がする。
今までの彼女は、無味乾燥な砂漠の様な世界へ出て行けず、とりあえず水場の辺り、つまり今いる居心地の良い場をウロウロする獣の様でした。
私は常々若者は旅に出ろ!と偉そうに言っていますが、この物語の主人公もこれから砂漠に見える広い世界に旅立てるでしょうか。